2013年6月6日木曜日

オシム

絶対に会いたいと心で強く思っていれば、どんな人にも会える...と。
そんなことあるわけないと思ってた。

何年前になるかな。

私はサッカー日本代表監督のオシムに会いたい
単に 見る のでなく、会ってじっくり話をしたい 
と厚かましいことを考えていた。

NHK のテレビを観たのがきっかけだ。

彼の故郷のボスニア、戦火の中のサッカーの話を聞いてからだ。

日本のお祭り騒ぎのようなサッカー熱、娯楽の一部
青空のもと行われる健康的なスポーツ とは全く違うサッカー。

戦火を生きる人々の一筋の光
サッカーを観ているときだけ、人々は明日を信じられる...

そんなある日
オシムを日本に連れて来た立役者、Uさんがフランスに渡るとのことで
送別会をするから来ないかと ある方に誘って頂いた。
I市長、Uさん、オシム夫妻、アマル   + 私 ......? 

    絶句

  オシムと 会える

オーラというのは、彼のためにある言葉だと思った。
体が大きいとか、そんなんじゃない。
後光が射してるって、こういうことを言うんだと。

Uさんが通訳をしてくださって、でも、何を話したか、覚えてない。
うなぎのコースを食べたと思うのだが、記憶にない。

ただ
洞穴のような所で(なぜか洞穴)、オシムの話をずっと聞いていたい
あの低く、哲学者のような声で語られる話を聞いていたい と思った。

その後、オシムが倒れたというニュース
誰も彼の回復を信じていなかったと思う。

知り合いの記者は万が一のときのためにと記事をすでに準備していた。
私は ”オシムは絶対死なない。必ず回復する” と断言して、記者にあきれられた。

なぜなら
オシムは 
”日本は好きだ。 しかし、私は故郷で死ぬ” と言っていたから。
彼の言葉に嘘はないだろう と。

オシムと会えた数時間
私の人生にとって、夢のような時間だったな。
不思議な時間だった。
何か透明な、空気の層にくるまれているような。


後日談です。。。
オシムが倒れたとき、私はフランスにいるUさんに慌てて電話をした。
で、後で報道で知ったのだが、
オシムが倒れたとき、救急車を呼んだのは、そのUさんだった。
恥ずかしい...。




オシム
もう二度と会えないと思うけれど
本当に好きです。
私は生まれ変わったら、男になって、サッカー監督になります!
ん? ライバルかっ?

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