親戚の明ちゃんはその高校の2学年上。
当時、絶対に東京の大学に行く!と息巻いていた私にとって、
地味で大人しい明ちゃんと親しくなる事はありませんでした。
その後、明ちゃんは実家の酒屋を継ぎ
私は精一杯背伸びをして、田舎者である事を悟られないように、無理して都会の生活になじもうとしていました。
当時、上昇志向の固まりだった私にとって、田舎で酒屋を継ぐ明ちゃんがどうしても理解できなかった。
明ちゃんの穏やかな優しさが理解できるようになったのは、ここ数年のことです。
田舎に帰った時、遊びに行くと、
”好恵ちゃん、お世話になった人にあげたらいいよ!”
と、入手困難なお酒を持たせてくれて...起業して苦労している私を心配してくれたのだと思います。
東京に戻る時、重い荷物を持って、高速バスの停留所まで送ってくれたり。
お酒の配達で日焼けした、優しい笑顔が、都会の生活に戻る私に力をくれました。
同時に、後ろ髪を引かれるような思いでした。
明ちゃんに重い病気が見つかって、余命宣告。
”あと5年はどうしても死ねん” と頑張ってくれたね。
闘病中も、趣味のカメラを楽しんだり、地域の行事に参加したり。
有名な酒蔵を訪ねて、珍しいお酒を売る権利を得たのも、明ちゃんの人柄だったと思う。
明ちゃんは強くて、優しくて、不器用で、心が綺麗だった。
昨夜、天国に旅立ちました。
明ちゃんという人間が、真面目に、懸命に、与えられた人生をまっとうしたことをどうしても書きたかった。
明ちゃん、ありがとうございました。