2016年9月6日火曜日

会えるまでの時間

会えるまでの数時間
父のことを書こうと思う。

福岡の片田舎の酒屋の長男として生まれ、ずっとその地で人生を過ごした。

ささやかな人生だった

“お父さんはね、音楽大学に行きたかったんよ”

毎日重い酒瓶を車に積み、配達し、売り上げの心配をし.

そんな父から何度か聞かされた音大への夢

思春期特有の、父親嫌い病にかかった娘でも
独学でバイオリンを弾く父には一目置いた。

でも、父の哀しみには想いが至らなかった。


私は、とにかく田舎を出たい、都会で暮らしたいと
全てを振り切るように家を出、大学に進学し、結婚、カナダで暮らし、帰国

紆余曲折あって起業

自分のことしか考えずに生きてきた

父が何を考え、何を望んでいるのか、想いを寄せることもなかった

病床に伏せる父を見舞うとき
新幹線から見える富士山があまりにも綺麗で

そういえば父は富士山なんか見たことあるのかな と考えたとき
たまらなくなった。

父は夢を諦め、私にいろんな景色を見せてくれるため、
田舎で、酒屋を継ぎ、働いてくれたんだとようやく理解した。



その日

なんとか仕事を片付け、
看病で疲れた母と姉に代わって、私が病院に泊まり込もうと、
帰省の荷物をまとめていた時に電話が鳴った

病室で、父と生まれて初めて二人っきりでゆっくり話すことができると思ってた。

私が一方的に喋るしかないが
父が見たことのない景色を、少しでも見せてあげられるかもしれないと思った。

しかし電話が鳴った。

お父さん
ごめんね
間に合わんかった




全てが終わり
今ようやく、遺影の父と二人の時間を過ごしている

お父さん

姿はなくなったけれど、何も変わらない。

ずっと心の中で父は生き続ける。
不思議と寂しくはない。





ケチらないで、ストラディバリウス買ってあげればよかったね(笑)。

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