2011年10月31日月曜日

真夜中のお寿司

故郷の筑豊の空は、うすい灰色がかった空だ。
かき〜んと晴れた青空を何だかこっ恥ずかしいと思う人が多いのも筑豊かもしれない。

実家は田舎で酒屋をやっていた。
子供心に、儲かってるじゃん!と思うときもあれば、ヤバくない?(当時はヤバいなんて言葉はなかったけれど)と心配になるときも。

父は仕方なく酒屋を継いだという人間で、田舎に住んでいたわりにはそこそこ遊んでいたようだ。
真夜中に帰って来て、”起きなさい!お寿司買って来たから”とたまに起こされた。
次の日、学校なのに.....変わった親だ。
眠い目をこすりながら、ぼそぼそと食べた折り詰めの香りが今でも懐かしい。

当時、なぜか姉は一階で祖母と一緒、私は2階で父母と一緒に寝ていた。
父母が来るまで一人でいるのが怖くて、こっそり一階の祖母の布団に入っていることもしばしば。

そんな夜、父母の衝撃的な会話を耳にする。
”この酒屋は好恵ちゃんに継がせるばい。婿養子でもとって”
多分、小学校4年生くらい。
私の人生はもう決まってるんだ。。。と、小学生なりに絶望した。
でも次の瞬間、”絶対いやだ、東京に行く”と決心した。

会社を立ち上げようと思った瞬間といい、東京に行くと決めた瞬間といい、短絡的で、単細胞。
でも、この二つだけは、なぜかあきらめなかった。
他は全部、三日坊主で終わったのに。

酒屋は継がなかったけれど、商売をするという、あの何とも言えない危うさのような、ぞくぞくするものが染み付いているのかもしれない。
予期せぬ成り行きから立ち上げた会社だけれど、妙にしっくりくる。
会社登記から2年以上、後悔したことは1秒もない!...かな。 
ない...と思う。
ない...よね(笑)。

2011年10月30日日曜日

起業なんて考えてもいなかった

人生はひょんなことから、思いもかけない方向へ進んでいくことがある。
2年前、日本橋駅で見た光景。
階段の真ん中に高齢の男性が大きな荷物を抱えて、立ち止まっていた。
その方を避けるように人の波が動いていた。
出口がわからなくて、途方に暮れた目。 遠い目。

家に帰って、夫に話をした。
”東京の人は、冷たいばい(福岡弁)。お年寄りが困っとうとに(訳:困ってるのに)、み〜んな知ら〜んぷりして。私だけばい、荷物持って出口まで連れてってあげたのは”。
今はやりの ”どや顔” で、私がいかに親切な人間であるかを、東京人である夫に嫌みったらしく言う。

そこで返って来た言葉。
”それは人云々の問題もあるけど、標示が見えないんだよ、高齢の方には。いや、高齢の方だけじゃないなあ。”
そこで初めて夫の研究内容を知った。
結婚して20数年、何を研究してるのか、全く知らなかった(ごめん)。

今までデザインや文字は、作り手側からの一方的なものだった。
それを科学的な視点から考えていこうということで、実験心理学をデザインに取り入れるという方法を生み出していた。
医療現場などでヒューマンエラーを起こしにくいデザイン、高齢者に見やすい文字や表示など、この方法を用いれば、数値で評価をし、見やすさが検証されたデザイン提案が可能だと。

驚いた。
そんなことが出来るなんて。

ずっと疑問に思っていたことがある。
世の中は、本当に便利になったのかなあと。
最新機器が出たとTVで騒いでいるけれど、本当に使いこなせてる人がどれほどいるのか。
親に新しい携帯をすすめても
”年取ってるけん、使いきらんよ(使えないよ)”と恥ずかしそうにいう。
なんか、変だよな。
使いこなせないことが恥ずかしいこと??
違う、そんな製品を世の中に出していることが恥ずかしいことなのではと。

すぐにそれをビジネスにしようと思った。
企業との共同研究としてだけでなく、よりスピーディに、さらに世の中に訴えていくためには会社を作ろう と。

そのときには、これから先、沢山の苦労が待っているなんて、想像すらしなかった。

15年